2009年7月31日金曜日

教育課題研修指導者海外派遣プログラム

本年12月、シカゴで受け入れる日本からの海外研修者の事前研修会に顔を出してきました。
全国各地から推薦され、選ばれてきた参会者の先生方は、約20名弱、みなさん熱心に研修をされていました。
このグループの参会者は、みなさん数学教育を専門とする方々で、今日と明日の2日間の研修で、アメリカの学校教育事情に関する調査課題を具体的に絞り込み、研修の計画に反映させようということだそうです。
私は、「アメリカのおこなっていることはすばらしいので、日本に持ち帰ってまねをしましょう」という単純な考えは通用しない時代になったということ、アメリカの現状を批判的に見て、もって他山の石となす。ということをお話ししました。
シカゴに戻り、学校の新年度が始まったら、具体的に学校訪問の計画を詰めていきます。

2009年7月30日木曜日

日本とアメリカの算数用語の違い、概念の違い

9月から、「新しい算数研究」で連載を始めることになりました。
表記の内容で、日本語と英語の微妙なニュアンスの違い、その背景にある概念の違いなどを挙げ、算数教育についての議論のきっかけになるようなページにしたいと思います。予定では、毎月、見開き2ページで、わかりやすく解説していこうと思っています。
第一回目の予定は、新しい学修指導要領の目玉の一つでもある「分数」に関する表現方法の違いを取り上げて行こうと思っています。
ケネソー州立大学の渡辺氏、ウィリアム・パータソン大学の吉田氏とともに連載を続けていく予定です。

2009年7月29日水曜日

新しい学修指導要領への動き

日本では、昨年発表された新しい学修指導要領に向けた動きが活発なようです。
東京で、数学教育関係の方々と情報交換をして、再来年から完全実施される新教育課程への準備、今年度から始まった移行措置などの様子などに関する情報を伺いました。
学修指導要領の内容がこれほど一度に増えるのは初めてなので、移行措置期間の指導字数の確保、ならびに新しい題材を指導するための研修の確保など、学校現場ではさぞ大変だろうと思いきや、実際には、まだ殆ど準備は為されていないという話も伺いました。
実際、内容が大きく増えるのは、2学期以降、とくに4年生では大幅に内容が増えるので、いざ9月に授業が始まってからは、学校現場でけっこう大騒ぎが起こるのではないかと予想されます。
本来、夏休み期間中に移行措置対策を十分に講じなければならないのに、どうも、うまくいっていないようです。
この原因が何にあるか、実際に学校現場に出向いていないのでわかりかねますが、大量の新任採用といい、移行措置の準備不足といい、日本の教室、すこしちぐはぐしているようです。

2009年7月28日火曜日

アメリカ統一カリキュラム

アメリカで、統一カリキュラムに向けた動きが活発です。
いろいろなグループが、それぞれに、いろいろと動いているようにも見えるし、また、それぞれのグループがどこかで一つにつながっているようにも見えます。
このところ、メールで、統一カリキュラムに向けたセミナー、カンファレンスなどへの誘いが頻繁に舞い込むようになりました。
また、アメリカ政府関係機関の補助金も、数学の教育の質の向上、統一カリキュラムにむけた動きと関連しているようなものも見受けられます。
賛否両論いりみだれるなか、いま、アメリカの数学教育は結構おもしろい局面に来ていると思います。

2009年7月25日土曜日

東京へ

泊まっていたラッフルズ・タウン・クラブには、朝の5時、NIEの教授のご主人がわざわざ迎えに来て車でチャンギ国際空港まで送ってくれました。空港に着いたのは朝5時半、成田行きのユナイテッド航空便は、朝7時10分予定通りに成田に向けて出発しました。
今回は2日間だけでしたが、NIEの客員教授として、現場の先生を対象とした大学の講座を受け持ちました。シンガポールの学習指導要領の目標達成を目指して、教室に問題解決型の授業を取り入れるためにはどうすればよいかについての講義です。参加者は、この後、各学校にもどり授業研究を通して問題解決型の授業を試みるというのがこの先の流れだそうです。
シンガポールで、NIEが中心となって授業研究を推進しはじめて3年目に入りました。一方、アメリカではシンガポールの教科書が人気を集め、この時期、ラスベガスで世界シンガポール数学教育大会といったカンファレンスがおこなわれていました。この大会での基調講演を終えたシンガポールの数学教育学者ヤップ氏が、空港からそのまま私の講義に駆けつけてきてくれ、一緒にランチをとりながら、アメリカでの大会の様子を話してくれました。大会には、昨今の厳しい学校予算にもかかわらず約800人の参加者が集まり、熱心にシンガポールのカリキュラム、教科書について学んでいたと言うことでした。
私がアメリカからシンガポールに来て日本の数学教育のアイディアを話し、ヤップ氏がシンガポールからアメリカに行ってシンガポールの数学教育のアイディアを話す。
数学教育の世界では、ますます世界が小さくなってきたことを実感しました。
今日から、一週間東京です。

2009年7月24日金曜日

NIE ワークショップ第2日目


今日は、昨日とほぼ同じ内容のワークショップを、小学校の先生を対象に行いました。
いつも、このようなワークショップの時は、最初に、参加している先生方に、数学を教えるときに障害になるものはなにか、と聞くことにしています。
シンガポールは、国際調査などで常に上位を占めているので、アメリカの先生方からみると、シンガポールは先生方は何の苦労もないのではないかと思われがちです。しかし、実際に何が問題か書いてもらうとほとんdアメリカの先生方が抱えている課題と変わりはありません。
子供たちにやる気がない、沢山の内容を限られた時間で教えなければならない、などなど、
結局、どこへ行っても、先生方の悩みはそんなに変わらないと言うことなのでしょうか。

2009年7月23日木曜日

NIE ワークショップ第1日目



今日も、朝、4時半に目が覚めたので、再び植物園までジョギングに行きました。
熱帯の湿った空気のなかをはしる45分は、慣れると結構気持ちのいいものです。
今日は、中学校の先生を対象としたワークショップで、問題解決型の授業について、オープンエンドの問題も紹介しながら、日本の教科書の問題を中心に朝9時から夕方5時まで話をしました。
シンガポールの先生方の授業は、まだまだ教え込み型が中心で、子供たちに数学的な考え方を育てること、自ら問題を解く力を育てることが課題となっています。会場いっぱい、約50人の先生方が集まり、熱心に話を聞いてくださいました。
お昼は、NIEの先生方と、大学内の中華料理レストランで昼食をとりました。大学内とはいっても本格的なレストランで、コースメニューなどもあり、なかなか凝っていました。写真は、コースの中の前菜、ドラゴンフルーツとシーフードのサラダです。
いくら毎朝走っても、昼からこのような食事をとっていては何にもならないのですが・・・

2009年7月22日水曜日

National Institute of Education


シンガポールは、2年前の夏に最初に訪れて、今回で既に4回目です。
朝、例によって5時に起きて、近くにある植物園までジョギングをしました。7時近くにならないと日が昇らないので、まだ真っ暗ですが、夜の植物園は、走るのに困らない程度の照明が施され、とてもきれいです。
植物園の中をぐるっと一周したあと、ホテルにもどる途中、急にひんやりとした風が吹き出しました。そして、ホテルに戻るや激しい雨が降り出しました。雨は午前中いっぱい降り続きましたが、おかげであまり気温は上がらず、なんとか東京の梅雨時、といった感じでした。
National Institute of Educationのスタッフと、授業研究について話をしました。写真のように、大学のキャンパスは、広大で、緑に囲まれとてもきれいです。日本の国立大学は、今まで言ったどの国の大学よりも校舎の手入れが行き届いていないことが多いので、もう少しきれいにならないと、私立にみんな学生をとられてしまうのではないかと余計な心配をしました。
シンガポールでは、いま、キャサリン・ルイスをはじめとするアメリカの研究者たちによって作られた授業研究モデルと、日本の東大を中心とする教育心理学者たちの提案する授業研究モデルのどちらの方向にいくか、議論のさなかのようです。
日本でも、授業研究は如何にあるべきかという見方は一つにまとまっていませんが、それが、シンガポールにまで議論を巻き起こしていると言うことは、なんとも興味深いことです。

シンガポールへ



朝一番の飛行機で、ヨグジャカルタを出て、ジャカルタへ、飛行機の窓からは、連なる富士山のような山々をみました。
遺跡が地震の被害を頻繁に受けていること、また一般の民家にもまだ地震の被害が残っていることが頷けます。インドネシアは、日本と同様の火山列島なのでしょう。
ジャカルタでは心配していたテロの影響はまったくなく、スムーズにトランジットし、シンガポールに到着しました。
National Institute of EducationのCurriculum, Teaching & Learning Academic Groupのディレクターが用意してくれたホテルは、シンガポールらしく清潔で快適です。
夕方、NIEのCTIに昨年12月から加わった日本人の研究者、斉藤氏がホテルを訪ね、最近のシンガポールにおける授業研究の動向について話をしてくださいました。
明日から、3日間、シンガポールで授業研究に携わる研究者や先生方とお会いします。

2009年7月21日火曜日

プランバナン寺院群(Prambanan)




今日は、ヨグジャカルタ市内から東へ20キロ弱にある、プランバナンの遺跡に行くことにしました。
一人なので、まず地図で場所を調べ、ホテルのコンシェルジェにいろいろときき、ツアーには参加せず、自分でタクシーを拾っていきました、往きのタクシー代は、市外なので、80,000ルピア(約800円)でした。けれども、帰りは、市営のバスの乗り方を聞いたので、バスで帰ってきました。運賃はなんと3,000ルピア(約30円)。バスには外国人は一人も乗っていませんでしたが、なかなかきれいで、安心して乗れました。
まず、一番大きなお寺プランバナンに行きました。午前中だったせいか、昨日のボルブドゥールのような混み方はなく、しかも、頼んだガイドが一般のコースを外れていろいろ案内してくれたので、勉強になりました。2006年のジャワ島中部地震の被害はいまだに残っており、遺跡の修復にはあと何年かかるかわからないと言っていました。そのうえ、約800年間忘れ去られたいた遺跡なので、復元そのものに手が着いていないところも多く、まだまだ相当の時間とお金がかかるようでした。
プランバナンの遺跡は、ヒンドゥー教寺院ですが、そこから北に行ったところにある寺は、仏教の寺でした、こちらのほうは、少し不便なところにあるので人も少なく、ゆっくりと見ることが出来ました。遺跡は、まだまだ発見された当時のままになっている部分が多く、不完全なままでした。それにしても気になったのは、頭を落とされた仏像の多いことでした。これは、イスラム教徒による破壊行為ではなく、オランダ植民地時代に、西欧人の手で海外に持ち出されたということでした。頭だけならば比較的手軽に持ち出せると言うことで、いまは、世界中に散らばってしまっているそうでした。
歴史について、いろいろと考えさせられる昨日と今日でした。

2009年7月20日月曜日

ボルブドゥール(Borobudur)





午後から、ヨグジャカルタ州立大学の先生に連れて行っていただきました。
連休の初日と言うこともあって、世界遺産は、地元の人々で賑わっていました。ボルブドゥール遺跡は、8世紀の仏教遺跡ですが、ヒンドゥー教や他の思想もがまざったユニークな遺跡だそうです。今日、この中部ジャワ地方に住む人は殆どがイスラム教徒ですが、その人たちがイスラム教の祝日に大勢、古代仏教遺跡に訪れるというのはなんともおもしろい事だと思いました。
観光客であふれかえっていたものの、ガイドのおかげで、いろいろと学ぶことができました。パズルのように組み合わされた石の床、仏教の物語が刻まれたレリーフなど、見応えのある物でした。
遺跡で、地元の大学生のグループと会って雑談しました。みんな英語で会話し、うち2人は日本語でもコミュニケーションできました。
昨日まで、大学で、国際化について話しましたが。日本では、まだまだ外国人と気軽に英語で話が出来る大学生は少ないのでしょうか。

ペチャに乗って




日曜日、早朝大学のキャンパスとその周辺を歩いた後、ふたたびマリオボローに出かけることにしました。
往きはタクシーで行きましたが、帰りは、通りで元気の良さそうな車夫が引くペチャをみつけ、ホテルまで戻ることにしました。
マリオボローからホテルまでは、ペチャで25分、距離にすると5キロくらいはあったでしょうか。値段は30,000ルピア、日本円にするとざっと300円というところでしょうか。
イスラム教の祝日で、日曜月曜と連休だったせいか、通りはどこも賑わっていました。それにしても、自転車、ペチャ、バイク、そして自動車が入り乱れて走る通りは、何ともスリリングで、自分では絶対に運転したくはないところかもしれません。
また、また歩道があっても、いたるところに、あらゆる屋台や露店がならび、通行する人も車道を歩いています。写真にある屋台は、サングラスを売る屋台です。どこにいっても、いったい誰が買うのだろうというほど物があふれ、安い値段で売られています。

2009年7月19日日曜日

第二日目



今日は、大学の教授たちが、今後、この大学をどのようにして国際的に通用するような大学にしていこうかという議論をしていました。
オブザーバーとして参加したのですが、議論はすべてインドネシア語だったので、あまりよくわかりません。手元にある英語の資料と、時々周りに座っている人が英語で説明してくれますが、おおまかなところしかわかりません。だというのに、午後の全体会で、何かコメントをといわれて、困ってしまいました。
夜は、たまたま、大学の芸術学部が、町にある古いヒンドゥー教の遺跡で行う伝統舞踊の初舞台の日だったので、数学教育の先生がチケットを手に入れ、招待してくださいました。舞台の正面、一番前の席に、学長と並んで座らされてしまったのはちょっとこまりましたが、芸術学部の教授と学生たちの舞台は美しく、遺跡の雰囲気によくあったすばらしいものでした。
これから、毎月、一回程度、定期的にこの講演をおこなうということで、記念すべき初舞台を見ることが出来たのは感激でした。
(写真上は、2日間の会議が行われた大学のメインビルディング、写真下は、遺跡でおこなわれた舞台のカーテンコール)

2009年7月18日土曜日

マリオボロー(Malioboro)




夕方から、数学教育の先生がご主人と一緒に私たちを町一番の目抜き通り、マリオボローに連れて行ってくれました。
通りは、バイク、自転車、そしてペチャという人力車(自転車のハンドルに2人乗りの座席がついた三輪車)、さらに自動車がびっしりと並んで、走り、道を渡るにはとても勇気がいります。また、歩道には、露天がところせましとならび、いったい誰がこんなに沢山の物をつくり、そして買うのか不思議です。
旧市街を馬車に乗って一回りし、夕涼みを楽しみました。

2009年7月17日金曜日

カンファレンス




大学の講堂で行われたカンファレンスには、約150人ほどの大学関係者が集まりました。
朝、ジャカルタで緊急の用件ができたと言うことで、基調講演をするはずだったインドネシア文部省の高官が急遽ジャカルタに帰ってしまったので、私の話が、朝一番の基調講演となってしました。
国際レベルの大学を目指す、というテーマのこのカンファレンスに、私の話がどれだけ役に立ったかわかりませんが、みなさんから色とりどりの名刺を沢山頂きました。

昼食の時、ニュースで、ジャカルタでアメリカ系の2つのホテルが爆弾テロに遭ったというニュースを聞き、なぜ、政府の高官が急遽ジャカルタにもどらなければならなかったのがわかりました。

とはいえ、ジャカルタから1時間離れたジョグジャカルタはいたって平穏でした。
ただ、一つ違ったのは、ホテルの入り口にいた警備員が、出入りする車を、少し真剣に検査するようになった程度でしょうか。

2009年7月16日木曜日

レセプション



ヨグジャカルタのローカルレストランで、学長主催のレセプションがありました。
6時半に大学の車が迎えに来て会場に行くと、学長と副学長がすでにレストランに来て待っていました。
しかし、それからの長いこと、みんながそろって食事を始めたのは、8時近くになってからでした。
始め少なかった人数も、時間を追うごとに徐々に増え、最終的には、それでも30人くらいになったでしょうか。

レストランは、町で評判のレストランだそうで、郷土料理が並んだテーブルからそれぞれが好きなものをとって食べるスタイルでした。
主催者が、次から次へと来て、それぞれの料理について説明してくれました。タイ料理のようにスパイスのきいた辛いものと、サトウキビからとれる砂糖をふんだんに使った甘いものとがまざっており、アジアらしい味を堪能しました。イスラム文化が強いので、豚肉は一切使われていません。その分、牛肉、鶏肉、ラム、そして野菜や豆腐料理がふんだんにありました。

日が沈むと、すっかりと涼しくなり、空気も乾燥して気持ちよい夜でした。今は一年のうちで乾期になるとのこと、少し離れたタイでは雨期で、どんよりむしむししていたことを考えると、同じ東南アジアでもずいぶん聞こうが違うものだと感心させられました。

ヨグジャカルタに到着


7月16日火曜日、バンコクのホテルを朝4時半にでて空港に行き、7時過ぎの飛行機でジャカルタに向かいました。バンコクからジャカルタまでは約3時間少々、国際線といっても、アメリカ国内では、シカゴからニューメキシコに行くくらいでしょうか。バンコクとジャカルタでは時差もなく、特に苦はありません。
ジャカルタ国際空港は、一昔前のタイ国際空港の様に薄暗く、数年前に新しくなったバンコク国際空港とは隔世の差があります。
ジャカルタからさらに国内線で1時間、ヨグジャカルタにつきました。こちらは、タイの地方空港と同じような感じで実にのんびりとしていました。空港にはタラップもなく、歩いてターミナルに行きます。
空は青く晴れ渡り、気温は高いものの、バンコクよりもずっと空気が乾燥していました。
街は、タイ同様、沢山のバイクが走っています。カンファレンスの会場となる大学の目の前にあるホテルに落ち着いたのは午後3時。
6時半に迎えが来て今夜は大学のレセプションがあるということでした。

バンコク

成田を経由してバンコクに着いたのは、夜11時。そしてタクシーでホテルに向かいました。
時差と、飛行機の中で寝たせいか、ホテルではあまり眠れず、ジムが開くのを待って30分ほど運動をして、朝9時からの会議に備えました。
タイ文部省の担当者がとってくれたホテルは、今までのホテルとちがって日本人はほとんど見かけませんでした。値段も手頃で、しかも設備も整っており快適でした。
タイ文部省の高等教育局のトップとは、約1時間、アメリカが主導して行うAPEC HRDWGのプロジェクト「21世紀の数学科学教育」への協力と、その手始めとして3月にタイで行う数学教育カンファレンスへの協力を依頼しました。
とはいえ、すでに担当者から根回しがしっかりとされており、特に問題もなく、3月にタイ南部のリゾートで、タイ政府とアメリカ政府が協同で3日間のカンファレンスを主催することが正式決定されました。
8月、シカゴに戻ってから、8月下旬の一次案内にむけて、具体的な話を詰めます。
午後からは、街を少し散歩した後、夕食も食べず、午後5時に寝てしまいました。
おきたのは、深夜2時、たっぷりと睡眠をとることが出来ました。
16日は、朝7時過ぎの飛行機で、インドネシアに向かいます。

2009年7月14日火曜日

新学部長との交渉

7月1日付けで着任した学部長と、朝8時半から1時間ほど話し合う機会を持ちました。
新年度のAP*MSECの予算および、今後の研究補助金の申請などに関して、初めての交渉の機会をえることができました。
教育学部の最優先課題の一つとして、AP*MSECの活動内容などを知ってもらうための資料をそろえ、トムと2人で会いました。
私は、今日から、今月末まで東南アジアにでかけるので、今回の話し合いをきっかけに、トムにフォロー・アップをしてもらうこととして短い打ち合わせを終わりました。
その後、オヘア空港にむけてタクシーをとばし、正午(13日月曜日)の飛行機でタイのバンコクに向かいました。
成田で、4時間ほどの待ち時間を過ごし、バンコクに着くのは、バンコク時間の火曜日の深夜になります。

2009年7月11日土曜日

新しい算数研究

新しい算数研究8月号の原稿、「シンガポールの教科書について」を書き上げ送りました。
アメリカの教科書とシンガポールの教科書の比較研究の結果と、日本の教科書との比較を通して、シンガポールの教科書の特徴をまとめました。
来週からの東南アジア行きでは、タイ、インドネシア、シンガポールとまわって東京に行きます。新型インフルエンザの影響で、残念ながらシンガポールでの公開授業は出来なくなってしまいましたが、シンガポールの教科書に関して、シンガポールの先生方に話を伺う機会が持てそうです。
今回は、旅行先でも写真をアップロードできるように準備し、このページで様子を逐一ご報告できるようにしたいと思っています。

2009年7月10日金曜日

ミシガン湖畔



午前中、インドネシアでの講演のパワーポイント・スライドを仕上げました。
その後、昼を食べに出た帰りに、自転車でミシガン湖畔のビーチとベルモントのヨット・ハーバーに行ってきました。
休日とちがって浜辺も比較的静かでした。それでも、自転車で湖畔を走ったり、ビーチで日光浴をしたりと、みんなしっかりと夏を楽しんでいました。
シカゴは冬厳しいだけあって、夏は、ちょっとした避暑地のようなさわやかな陽気です。日差しは強いのですが、湖畔を渡る風はひんやりとかわいています。
今日は、午後もうひと仕事して、夕方は再び湖畔に来て、ジョギングでもしようかと思っています。

2009年7月9日木曜日

アジアの算数・数学の教科書

アジアの教科書に対する興味が高まっています。
以前、このブログでも触れたように、シンガポールの教科書は、もともと英語で書かれているので、そのままアメリカの一部の学校や、家庭、また学校以外のプログラムなどで使われています。日本の教科書は既に小学校のものが英訳されていますが、韓国の教科書も英訳がされているようです。日本や韓国のものは正式に教科書として採用されるまでには至っていないようです。ただ、日本の小学校の教科書は、あちこちの学校区で、低学年の数と計算の導入など限定した場面でですが使われ始めているようです。
日本の教科書をもとに、家庭用または補助教材として内容を作り替えてアメリカで販売したいという会社もあるようですが、なかなか日本の教科書のよさを前面に出したアメリカ版の製作となると、そこまで投資する会社はまだないようです。
算数・数学の統一カリキュラムが出た辺りで、どのような動きになるか、興味深いところです。

2009年7月8日水曜日

インドネシアの原稿完成

何とかぎりぎりで間に合いました。
一週間前までに、基調講演の原稿(約3000語)を送るということになっていたので、時差を考えても締め切りの一日前にメールを送ることが出来ました。
今回は、ヨグジャカルタ州立大学が主催する世界水準の大学に関する国際セミナーおよびワークショップ(ISWCU2009)におけるオープニングの基調講演を依頼されました。
とはいっても大学運営全体に関する話しは出来ないので、数学教育に関して世界水準の大学となるには、と題して、教師教育を中心に話しをすることにしました。今回は、教師教育と一口に言われているさまざまなプログラムや資料を、教師のレベルと教師教育の2つのフェイズという面からマトリクスを作って考え、目標と対象をはっきりさせようと提案しています。
さあ、この提案、インドネシアの研究者たちにどのように受け止められるでしょうか。楽しみです。

2009年7月7日火曜日

東京よりシカゴへ

月曜日の夕方の便で、シカゴに戻りました。
いつもながら、成田を出発した時刻よりもシカゴに到着した時刻の方が早いということに不思議な思いです。
シンガポールやタイでは、かなり新型インフルエンザの流行に敏感なようですが、先日の東京行きの便、そして今日のシカゴ行きの便ともども、マスクをしてる人は誰も見かけませんでした。成田では、マスクをしている人を希に見かけましたが、真夏の北半球では、あまり流行はしていないようです。
これが、南半球に行くと少し事情がちがってくるのでしょうか。ちなみに、東京で、日本人向きの少しサイズの小さめなマスクを買ってきました。念のため、来週からの東南アジア行きには持って行くつもりです。シンガポールからはくれぐれもインフルエンザにはかかって来るなといわれていますので。

2009年7月4日土曜日

飛行機の中で

シカゴから成田まで13時間のノンストップ・フライト、何回やっても、なかなか慣れません。
ここ数年、年に4−5回太平洋をわたって往復していますが、そのたびに長い時間と時差とに悩まされます。
それでも、今回は比較的ゆったりと来られたので、来月号の、新しい算数研究の原稿を書き上げました。「アメリカの教科書」について、その特徴ととりまく最近の状況について書いてみました。
日本の方々がもっているアメリカの教育と現実とはけっこうかけ離れているのではないでしょうか。8月号は「シンガポールの教科書」についてです。たまたま、再来週はシンガポールなので、最新の教科書事情をレポートできればと思っています。

2009年7月2日木曜日

東京へ

私用で、急遽東京に行くことになりました。
今日の飛行機で成田に向かい、月曜日に帰ってきます。
往きの飛行機は比較的空いているようなので、インドネシアでの講演のペーパーを仕上げようと思います。

シンガポールでのワークショップ

昨日から今日にかけて、シンガポールのNational Institute of Education(NIE)と電話、e-mailのやりとりを繰り返し、最終的に、ワークショップの会場を学校からNIEに移して行うことにしました。また、私の公開授業が出来なくなったことを受けて、APEC Wikiにあるビデオを使って、問題解決型の授業をデザインする、ということをテーマに2日間のワークショップを行うことにしましt。初日は、中学校の先生方を対象に、第二日目は小学校の先生を対象に扱う題材を少し変えて行うことにしました。
日程を修正し、必要なワークシートを作成し、全てをシンガポールにe-mailで送りました。
これで、シンガポールでのワークショップの準備はほほ完了(パワーポイントのスライドはおそらくジャカルタからシンガポールへの飛行機の中と言うことになるでしょうか)あとは、バンコクでの打ち合わせ資料と、ヨグジャカルタの大学での講演ペーパーを仕上げなければなりません。

2009年7月1日水曜日

officeの引っ越し

一年間過ごした、AP*MSECのofficeを引き払って、もとのofficeに戻りました。
これから4ヶ月間、officeの改修が終わるまで仮住まいです。
仮住まいの間、スタッフとはちがう階になるので、これまでのように、ちょっと大きな声をだせばすぐに話が出来るという訳にはいかなくなります。ただ、SkypeやiSightを使えば、いつでも何処でもビデオ・カンファレンスが出来ることには変わりありません。

ところで、シンガポールから、今月下旬に予定されていた公開授業について相談が来ました。私が、小学校で一つ、中学校で一つ数学の授業を行い、シンガポールの先生方の研修の機会にすると言う計画でしたが、インフルエンザ対策のため、予定を変更せざるを得ないかもしれないということです。
ここ2−3日の間、シンガポールと緊密なやりとりをして最終的な計画を練ることになりそうです。